Amaranthusの名の由来と花言葉
アマランサス(Amaranthus)という名は、古代ギリシャ語の「amaranthos(αμάραντος)」、すなわち「しぼまない」「枯れない」という言葉を語源としています。
乾燥させた後もその鮮やかな色を失わない花の姿が、当時のギリシャの人々にとって「不死の花」と映り、紀元前400年頃にはすでに宗教儀式に用いられ、その印象的な名が彼らの語彙に刻まれました。
それゆえ、この植物は「粘り強い精神」や「不滅」という花言葉を持っていて、暑さが残る秋頃から色褪せることなく生き生きと咲き続けるアマランサスの姿が、その花言葉に込められています。
ちなみに、和名は「ヒモゲイトウ(紐鶏頭)」といい、名前にケイトウが含まれていますが、ケイトウはヒユ科ケイトウ属、アマランサスはヒユ科ヒユ属(アマランサス属)であり、植物分類としては別の属に分類されます。
Amaranthusのアステカにおける役割
アマランサスの栽培の歴史は、紀元前6,000年頃まで遡ります。
南米と中央アメリカのバルサス川流域において栽培化が始まり、やがて中南米各地の文明へと広がっていきました。
アステカ帝国の都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)では、国の各地から大量のアマランサスの穀粒が、皇帝モンテスマへの貢物として送り届けられていたといわれています。
16世紀前半、当時スペインの統治下にあったメキシコにおいて作成された「メンドーサ写本」には、帝国の町の3分の2においてアマランサスが貢物として必須の品目であったことが明記されており、トウモロコシや豆と並ぶ重要な作物として位置づけられていました。
Amaranthusのアステカにおける名と現在
アステカの人々はアマランサスを「huauhtli(ワウトリ)」と呼びました。
太陽と戦争の神ウィツィロポチトリ(Huitzilopochtli)への信仰と深く結びついたこの穀物は、蜂蜜と混ぜ合わされ、神自身の像へと成形されました。
精巧に彩色・装飾された像は儀式に運ばれ、信者たちによって分かち合われながら食されました。
ディエゴ・デュランやベルナルディーノ・デ・サアグンといったスペインの年代記作家たちは、その様子を書き記しています。
しかし16世紀、その地に降りたスペイン人の目には、アマランサスを使った儀式が「邪教の象徴」と映り、畑は焼き払われ、栽培は禁止されました。
主食を担っていたトウモロコシや豆に替わられたアマランサスは、その後400年間「幻の作物」として歴史の影に潜みます。
それでも、先住民の農民たちはひそかにアマランサスを育て続けました。
その種が絶えないように、貯蔵された種子は親から子、子からその子へと受け継がれ、辺境の地で植物と儀式を静かに伝えていったのです。
アメリカ合衆国では、トーマス・ジェファーソンが自邸モンティセロの庭園の小道にアマランサスを植えたと伝えられています。
また、1970年代に入ると種子への関心が再び高まり、「幻の作物」は明かりのもとへと再び姿を現すことになります。


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