25. Forsythia/レンギョウと人類史の関わり

Forsythia

人類史におけるForsythia suspensaの歩み

レンギョウが西洋の植物学の視野に入ったのは、スウェーデンの博物学者カール・ピーター・トゥンベルグ(Carl Peter Thunberg)によるものでした。

トゥンベルグ、彼は日本が鎖国から明治維新を経て門戸を開く前、江戸時代の只中に長崎の出島を訪れた人物の一人です。

1775年から1776年にかけてオランダ東インド会社の一員として日本に滞在した彼は、日本の庭園でこの植物と遭遇します。

1784年、まだウィリアム・フォーサイスがヨーロッパにて存命の時代に出版された『Flora Japonica(日本植物誌)』において、この植物はラテン語で”垂れ下がるライラック”を意味する「Syringa suspensa」という名で記載されました。

しかし、ライラックとは明らかに異なる特徴を持つことが判明し、1804年のフォーサイスの死後、マルティン・ファールによりこの植物に新たな名である「Forsythia」が与えられました。

ちなみに、種小名「suspensa」は「垂れ下がる」を意味しますが、それはこの植物の花を咲かせた枝が弓なりに、地表に向かってしなる様を表しています。

それから19年後の1823年から1829年、トゥンベルグと共に日本において『出島の三学者』に数えられたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトがオランダ政府の職員として長崎の出島に滞在していました。

その折、Forsythia suspensaを詳細に研究した彼は、帰国後に編纂した本の紙上に彩色図を掲載し、この植物の姿を西洋の植物学に深く刻み込んでいきました。

人類史におけるForsythia viridissimaの歩み

イギリスはヴィクトリア朝時代のスコットランドにて、ロバート・フォーチュン(Robert Fortune)という植物学者がいました。

彼は1844年から1845年、アヘン戦争後の当時イギリスの占領下にあった香港を訪れた際、浙江省の沿岸都市・舟山の士大夫の庭園でレンギョウを発見し、それを含むおよそ250種の植物と共に帰国しました。

彼は日本にて、晩年のシーボルトの元にも訪問しています。

1846年、このレンギョウはForsythia viridissima(シナレンギョウ)と名付けられます。

フォーチュン自身の観察日誌にはこう記されています——

「中国人が大いに好む植物で、富裕層の庭のほとんどに植えられている。
山中の野生のものを見たとき、士大夫の夢幻の庭で栽培されているものよりさらに美しいと思った」と。

「中国北部では高さ約2.4〜3mに成長し、秋に落葉する。
早春になるとこれらの花芽は徐々に開き、低木全体に鮮やかな黄色の花を咲かせる」

——その記述は、フォーチュンが目にした初春の光景を生き生きと伝えるかのようです。

人類史におけるForsythia x intermediaの歩み

1878年の夏、現在のドイツのミュンデン、かつてプロイセンと呼ばれた地の植物園の責任者だったヘルマン・ツァベル(Hermann Zabel)は、Forsythia suspensaとForsythia viridissimaという2つの種の交配物と思われる実生を発見しました。

1885年にForsythia x intermediaと記載されたこの交配種は、両親の中間的な性質を持っていました。

その種は生育の旺盛さと豊かな開花性を兼ね備え、今日ヨーロッパの庭園で最も広く植えられるレンギョウとなりました。

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